式内 香山神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 式内 香山神社

式内社 若狭国大飯郡 香山神社
読み:古 カゴヤマ、現 かぐやま
所在地 福井県大飯郡高浜町下車持(しもくらもち)44字高森7-1
旧地名 若狭国大飯郡和田村

御祭神 天香山命(あめのかぐやまのみこと)

例祭日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
北陸道神352座 大14 小14
若狭国(ワカサ) 式内社42座(大3座・小39座)
大飯郡(オホヒ・おおい) 7座(貞・並小)

近代社格制度 旧村社

創建     大宝2年(702)
本殿様式   流造 銅板葺

境内摂社(祭神)

摂社 牛尾神社 夷(恵美須)神社、熊野神社、事平神社、 荒神神社、瘡神神社、稲荷神社

一口メモ

国道27号を舞鶴から福井県(若狭)へ足を向け、高浜町の東端、おおい町との境界近く、JR若狭本郷駅の西1Kmほどの南の字高森の丘が境内。日立造船とか福井県大飯原子力防災センターの建物がある。すぐ前は国道を挟んで若狭湾の大島半島との青戸入江という狭い入り江で、半島には関電大飯原子力発電所があるが、半島の先端なので見えない。
境内に向って左右に、同規模の社殿があり、本社香山神社は右手(北側)の社殿。

歴史・由緒等

縁起

由緒 往昔第一代神武天皇の功臣天香山命を先人達が開拓の祖神と崇め祭祀せしか。又上古天香山命の後裔若犬養宿祢の氏人の若狭(当地方)に在りて祖神を氏神として加来山(香具山)に創祀したものと推考される。 御鎮座は奈良朝の大宝二年(七〇二)の頃か、少なくとも天平十三年(七四一)より延暦十二年(七九三)の間の年代と推定され、今より千二百五十年余前の創建ならん。降って平安朝の延長五年(九二七)の延喜式神名帳に撰上ありしより、正に千五十年の古社なり。中世暦応元年(一三三八)丹州、丹後の大川十六所明神が当地に飛遷(合祀)すと伝う。鎌倉室町時代は社領も百五十石あり社運隆昌なりしと云う。以降幾度かの造営修補を経て、現在の社殿は江戸時代文化十年(一八一三)造営なり。 伴信友の詠歌 『こもまくら高森山の高々にあふぎて祝ふ神祭りかも』文化元年(一八〇三)の春祭りに参拝の折り詠める。 -境内由緒書より-

『神社明細帳』に「延書式神名帳に大飯郡香山神社」と記載。社伝に「香山神社(下杜)は、神武天皇の功臣天香山命を当地方の国土開発の祖神と仰ぎ、古来から香具(加来)山のという。天香山命の後裔の氏人が、養老年間 (七一七~七二三)にこの地に氏神として奉祀したと推定される。

『延喜式神名帳』 に「香山神社 小一座」と撰上され、『若狭国神名帳』に「正五位香子山明神」と記載されている古社である。摂社の牛尾神社(上社)は、第十一代垂仁天皇の御代に渡来帰化した新羅国王子の天日槍命の末裔が、始祖を「氏の神」として、延暦十年(七九一)頃に当地に創祀したという。

『若狭国神名帳』に「正五位杜本明神」とあるのが、当社と推考される古社である。暦応元年(一三三八)に神意があって丹後国大川十六所大明神・天日八王子御前・大和国吉野蔵王権現が高森に飛遷し給うたので、翌二年、右衛門中尉助教が社殿を改築し遷座したと棟札に記してある。以後、香山神社を下社高森十六所明神社。牛尾神社を上社高森天日八王子社と尊称した。

永享五年(一四三三)から三年がかりで河上肥前守沙弥道應公が社殿と小宮を造替えたと棟札に記してあり、亦、荒木家文書に「若狭国守護職因幡守安部泰俊が鰐口を奉納」と記載してあるが、行方不明である。鎌倉室町時代には上下社合せて十五○石を賜り社運隆昌を極めたが、太閤検地の時に社領は没収されて山林を残すのみとなった。

正保二年(一六四五)から三年にかけて藩主酒井讃岐守忠勝公が社殿の造営補修等の料を寄進された。文化一〇年(一八一三)に氏子の奉賛により上下社の社殿を改築したのが現社殿である。

明治五年に下社高森十六所明神社を香山神社に改め、上社高森天日八王子社を牛尾神社に改められた。大正十五年に延喜式内社撰上一千年祭を執行。昭和五二年に御鎮座一千一百五十年と式内山社撰上一千五十年の式年大祭を斎行し、五年計画の記念事業を完成した。同六十年に天皇陛下在位六十年記念に社前の玉垣を改築した。

平成二年に今上陛下御大礼記念に第一鳥居を大鳥居(石材)に改築し、第一社号標(石材)を新設した。東参道駐車整備と各参道に七基の照明燈を新設した。かくて、鎮守の杜の樹々は亭々と聳え、緑いや増す中に氏子の赤誠は、次々と具現され神威赫赫と輝き、崇敬の念いよいよ深い。

下境内の西側の桧林の中に在る「鶏塚」は、御祭神事代主命が「鶏の声の聞ゆる里は、わが有縁の地なり」祖代々、下車持の人々は鶏を神使とLて大切にして来た。早朝に参詣Lて神鶏の鳴く声を聞くと「福が授かる」と喜び、殊に、正月元旦に、神鶏の声を聞こうと早朝に参詣する習慣がある。約五百年以前に農夫が参詣中に神鶏の声を聞き、神の御声を聞き、御姿を拝して賢き霊威を受けて誠に有難く感謝報恩の念から境内の森に「金鶏」を埋納して「鶏塚」を創し祀ったと伝えられている。

境外社笠掛神社は本社西方一キロの笠掛谷に鎮座し、木匠と山野の神々を祀り、尊崇奉斎している。(旧社格無格社) -福井県神社庁-

境内・社叢

  
参道                    参道を登るとJR若狭線が下を通っている。

  
参道上狛犬


手水舎

  
境内入口狛犬

左手は、摂社・牛尾神社(天日槍命・八王子命)の社殿。 両社の間をつないだ渡り廊下のような場所に、境内社が並んで祀られている。

香山神社・牛尾神社ともに拝殿は無く、本殿の覆屋の庇が前に延びており、その場所で参拝をする。

  
香山神社拝殿              本殿覆屋


境内社 左:牛尾神社と右:香山神社との間に境内社

祀られている境内社は、右(本社側)から、夷(恵美須)神社、熊野神社、事平神社、 荒神神社、瘡神神社、稲荷神社。

  
本殿左 摂社 牛尾神社

  
牛尾神社左境内社                 香山神社右手境内社

地名・地誌

旧高浜町、青郷村、和田村、内浦村の各自治体が置かれたが、これらが合併して高浜町となり現在に至る。

地 図

交通アクセス・周辺情報

道の駅シーサイド高浜・高浜原子力発電所

参 考


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